前回のつわり体験記はこちら。重症妊娠悪阻の記録を週数別に詳細に記録しています。
妊娠悪阻で入院。点滴治療をしていた私は約10日ほどで退院しました。
自分から「退院させてください」と訴えての退院です。医療に助けられた事に感謝していますが、入院生活は妊娠悪阻の私には色々と辛い事が多かったのです。
今回は入院中~退院までのお話を書きます。
病院のにおいと音
病院ってこんなに独特のにおいがするのですね。
妊娠前はほとんど気にならなかったにおいに悩まされました。消毒のにおい、薬のにおい、病院食のにおいがもう臭くて臭くてたまらなくて・・・。
その度に込み上げて来て嘔吐する毎日。
マスクをしてもだめなんですよね、ふわりふわりと色んな所から香ってくる凶器。
食べ物を見ることはもちろん、食べ物を連想する音(配膳の台車の音など)でも吐きます。
極めつけは個室に飾ってあるミルクメーカーのカレンダーを見て吐きました。(ミルクの絵が書いてありました)
医療器具の電子音でも吐く。
ここまで来たらもう笑ってしまうくらいありとあらゆる音に気持ち悪くなります。
それに以前書きましたが、トイレも臭い。
ごめんなさい!ごめんなさい!こんなに文句言って・・・治療してもらっているのに、自分でも酷い言いがかりだと思いますよ。
でも匂いや音に敏感になってその度に嘔吐しているので(食べられないので吐くのは胃液)喉が焼けるように痛くて限界でした。
廊下にいるおばさんの話
当時、この病院に悪阻で入院しているのは私一人でした。
産婦人科なので皆さん女性ですが、年代も症状も色々で中には(私が見る限りは)動けて元気そうにしている方もいましたね。
私の真向かいの部屋に入院していたおばさん(60代?)なんですけどね、本当に本当にうるさくて・・・。
彼女、部屋にいるのが嫌なのかずっと廊下にいるんですよ。それで入院患者さんや看護師さん、掃除のおばさんを捕まえて一日中廊下で喋りまくってました。
ここが病棟だってこと完全に忘れてるよ・・・
かなり大きな声で部屋の中まで丸聞こえの状態。悪阻の時って人の話し声もかなり堪えるので辛かったなぁ。
苦しみながらせっかく眠れても、大きな笑い声と話し声で目覚める。一日中声が響き渡っていてもうノイローゼになりそうだった。
ありがとう点滴。退院することを決めた理由
病院のにおい、音、人の話し声で嘔吐するのが辛すぎて退院したいと訴えました。
医師はまだ入院していることを勧めましたが、私の決意は変わりません。
家なら静かに過ごせる。
少なくとも病院よりは音やにおいで吐くことは少なくなるだろう。
どうしても退院したくて、この日のお昼ご飯は半分以上食べました。ささやかな元気アピールです。
帰れると思うと少し気力が湧いてきて、不思議と食べられました。
これだけ食べれるのならまぁいいでしょうと判断され無事に退院の許可が下ります(アピール成功)
点滴のおかげ脱水症状は改善され、栄養補給によりケトン体は消えたことで体のだるさは少し良くなりました。
一日24時間も点滴ををよく頑張ったと思います。
だんだん腕の血管が細くなり、点滴針が抜けたり痣も出来て痛かったのですがそれでも感謝しています。
ありがとう、点滴!電解質にブドウ糖!あまり効いていなかったプリンペラン!
現代医療よ!ありがとう!
もし私が戦国時代や江戸時代に生まれていたらこの恩恵を受けられず、妊娠期間に命を落としていたに違いない。
となると子供とも出会えなかったのかと思うと感慨深い。
実際、悪阻で亡くなる人もいたそうなので(当時めちゃくちゃ調べた)点滴がない時代だったら冗談抜きで死んでいた。
タクシーの揺れに耐えながら帰宅
約10日の入院生活を終えて病院からタクシーで帰宅しました。
もうこの移動手段以外は絶対に無理。電車に乗れるのなんて一体どのくらい先になるのだろうか。
タクシーの揺れに耐えながら何とか吐かずに自宅まで辿り着きました。
しばらくぶりの自宅は格別だった。
病院のベッドに比べて、ベッドもソファーもふかふかだし何より吐き気を誘発するものはほとんどないので快適に感じました。
病院食を何回か食べて、食べられたものもあったのでまた脱水にならないように色んな食べ物や飲み物を試してみることにしました。
自宅で食べれるものを食べて、飲めるものを飲んで、しばらくしたら治まるに違いない。
そう思っていた時代が私にもありました(遠い目)
つわり体験記のつづきはこちら
コメントを残す