つわりはまさに生き地獄。重症妊娠悪阻で気が狂いそうになった日々

妊娠中につわりが酷く辛かった方の「つわり体験記」を紹介しています。

様々な症状、環境を耐えた妊婦さんの貴重な体験記は、今つわりが辛いあなたの苦しみを代弁してくれるはず。

  • るんちゃんさん(30代半ば)
  • つわり開始時期 着床したと思われる妊娠2週に激しい頭痛と嘔吐
  • つわりのピーク 妊娠9週~16週

今回、つわり体験記を書いて下さったるんちゃんさんは、あまりの辛さにこのまま死ぬんじゃないかと生命の危機を感じたそうです。

そして、お腹の子がいなくなれば解放されるという思いを抱き、でもそんなことは絶対に許されない・・・。

だったら自宅のベランダから飛び降りて自分もろとも・・・と本気で思い悩んだという、想像しただけで涙が出そうになる壮絶さでした。

経験したつわりの症状

  • 吐きつわり
  • 匂いつわり
  • ゲップつわり

重症妊娠悪阻と診断。

点滴は5回程あり。

つわり中の生活状況

つわり初期の食事について

料理はこの時点で全く作れず、自分の食べるもののみ、探すように。

夫の分は何も用意出来ず、適当に済ませてもらっていました。

仕事のある日は朝コンビニやパン屋(ここのパン屋は悪阻時よく買っていたので未だにトラウマ)に寄って買いました。

休日はスーパーでは何が食べられるか分からず、匂いに耐えながら1時間以上食べられるものを半泣きで探してぐるぐる回っていました。

ありとあらゆるものを買って一回の買い物でお菓子や惣菜だけで5千円以上使っていました。

食べられず捨てるものも沢山ありました。

仕事について

8wに職場に行き、電車で自宅まで帰れなくなりました。

職場の近くが実家だったのでそこへ一時避難のつもりが、結局ピークが去るまでは二度と電車に乗ることが出来ず、ここから産むまで実家暮らしになります。

この週に初めて吐き、仕事をしていても15分おきに横にならせてもらう始末で休職することに。

人数の少ない中で回している仕事だったので休むのが申し訳ないというより、選択肢として無いと思っていたのでギリギリまで我慢して、ぶっ倒れて休職に至りました。

3カ月の休職です。

申し訳なくてぐちゃぐちゃに泣き、でも体が言うことを聞かず、混乱状態でした。

つわりピーク時の地獄の生活

2か月間は完全に寝たきりで、外出はなんとか産婦人科の健診に行くのみ。

トイレ、シャワー、食べられるものがあれば食べる、しかできませんでした。無駄な動きは一切出来ません。

実家にいた為、夫とは別居になってしまったので申し訳ないと思いつつ、悪阻のつらさは伝えていました。

スマホで絵文字を使う余裕もなくなります。

妊娠やめたいとか、妊娠ちっとも嬉しくない、気が狂う、なんでこんな目に、窓から飛び降りたい、二人目は諦めてなどと言い悲しませます。

こんなやりとりがほぼ毎日です。

心に全く余裕がない状況が続きます 。二人目に関しては未だに考えられません。

辛い・・・辛い・・・狂いそうな日々

母親が用意してくれる物を何か口にするものの吐いては唸りながら寝る。

吐くときはゲー、グエェーと、窓を閉めていても毎日ご近所に響き渡り、近所の犬がその都度反応して吠えていました。

申し訳なかったです。

食べている時は、歯を食いしばり、眉間にしわを寄せ、どこでもないどこかを睨みながら一口一口うーとか、あーとか、唸り、戦いながら食べているという感じでした。

つらくてイライラして、歯ぎしりや貧乏ゆすりをしながらの食事。

片付けなど一切出来ず食べ散らかしては寝るか、そのまま吐きに行くか。

母曰く、あの頃の食べている時の私は鬼の形相で、ちょっと目が異常で狂ってしまっているように見えたそうです。

体重は5キロ落ちました。これが18w以降まで増えません。

朝から晩まで鬼の形相なので、眉間のシワが消えなくなりました。今は消えましたが、これ一生残るんだろうなと本気で思ったくらいの深いシワです。

夫に悪阻がおさまってから、あのシワ消えたねと言われたので相当目立つシワだったのだと思います。

嗅覚と視覚による嘔吐

あらゆるものの臭いがダメに。

石鹸、使い慣れていない衣料洗剤、冷蔵庫の匂い、男の人。未だに匂いは苦手です…。

何故か飼い犬の存在だけが大丈夫で、うっかり食べ物のことを考るなど(頭に食べ物がよぎるだけで気持ち悪い)して吐き気がやってきたときは、飼い犬の名前を連呼していました。

料理のにおいが家中に充満しないよう窓全開で料理してもらってました。

肉や魚は未だにちゃんと食べられません。。

音楽や光、些細な音、男の人の映像でも吐きました。

吐いて吐いて吐き倒す毎日で、喉が切れたのか血が混じるように。胃液も何度も吐いて・・・

 

トイレで泣いて、「助けて許して」と言いながら吐いてました。

 

私の日常生活全てをつわりは破壊した

朝起きて2秒くらいは悪阻を忘れていますが、そのあとすぐに気持ち悪さがやってきて悪阻地獄の1日がスタート。

シャワー浴びるのが辛かったです。夕方には絶対無理なので、朝入っていました。

湯気が吐き気を誘うのでそれが死ぬほど苦痛でした。

検診の日は病院のトイレで吐き、帰ると出かけた疲労で必ず吐いていました。

行き帰りは電車で30分の距離でしたが歩くのも大変でタクシーを使ってました。

目玉を動かすのがやっとでした。振り返ったり、横を向くだけで吐いてました。

 

お腹の子が憎くて憎くてたまらなかったです。

エコー見ても励まされるというより、睨みつけていました。ひどい感情です…。

2か月間は寝たきり生活で、体力は信じられないくらいに落ちました。

寝室は2階でしたが、上るのにも下るのにも手すりにつかまり、肩で息をしながらでした。上ったらおろか、下りれない時もありました。

つわりの時の家族の反応

夫も母親も、私を近くて見ていたので、世間一般によく言われる「悪阻は病気ではない」とは、口が裂けても言えなったようです。

私に寄り添った考えでいてくれたことは嬉しかったです。

夫は子供を欲しがっていましたし、妊娠について色々と調べる方でした。

辛さを理解しようとしてくれ、私が余裕のなくても「俺だって疲れてるんだ」とか「いつになったらよくなるの?」などは言いませんでした。

かなり事細かに状況をというか、「こんなに苦しい!」という内容を送っていましたが、受け止めてくれていたのでありがたいなと思っています。

毎日コロコロと食べられるものが変わる私に文句ひとつ言わず食べ物を用意し、身の回りの世話をしてくれた母に感謝です。

冗談抜きで母がいなかったら餓死か、狂って死んでいたと思います。

理解のある職場に助けられた

ありがたいことに私の職場は主婦も多く、理解のある職場でした。

私のいなくなったところをサポートしてくれるだけでなく、復帰してからも、誰一人として嫌味を言わず、無理のないように働かせてくれて改めて良い職場だと感謝しています。

戻る場所があるのがこんなにもありかだく、精神的に落ち着いていられるのだと知りました。

つわりを経験した今だから言えること

悪阻は生き地獄という言葉がピッタリです。

何も良いことがありません。

仕事やお金、健康、美容、時間、心など失うことはあっても、得るものがありません。

あっても強いて言えば悪阻で苦しんでいる妊婦さんを少しだけ励ましてあげられるかもしれないと言うことでしょうか…。

(死の淵にいた最中に、同じような体験された妊婦さんからツイッターで励まして頂けたのはかなり希望になりました)

ピークを過ぎても、ピーク過ぎて本当によかった、生きてた。以外の感情はないです。

悪阻がない妊婦さんを見ると「あぁ、本当に良かったね。こんな体験はするものじゃないよ」としか思いません。

「私は乗り越えたぞ!偉いでしょ。」とは思えないんです。

 

壮絶すぎて、なんであんな目にあったのかわからない。

運が悪かったんだとしか思えません。

 

でもこいつ(悪阻)のことは死ぬまで根に持って生きていこうと思います。

こんなつらく死の淵に立たされて、終わったから忘れようじゃ、あの頃の自分が報われない。

そしていろんな人にもっと知ってほしい。

世の中の悪阻の認識が甘すぎます。ドラマや漫画のよくある、アレはうそです。

悪阻の症状は人それぞれで片付けられるような簡単なものではないです。

壮絶な体験をしたからこそ、一人でも多くの人に知ってほしいし、世の中にもっと広まればいいなと心から願っています。

 

管理人はなこのつわり体験記はこちら

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